「毎年母の日には花を贈ります。」
横浜から妹のいる千葉に移住した母は、
花が大好きなので。毎年花にしています。

花が届くと、必ず電話がかかってきます。
お互いの体を気遣い、
困ったことがないか?
家族は元気か?
確認し合います。

「お前はお前で頑張れよ」
妹が2人いる長男として17歳まで一緒に暮らしていましたが、
上の妹には障害があり、下はかなり離れているので、
基本的に僕はいつも自由で、自分のことは自分でやる癖がついていました。
「年を取ったらお前に迷惑はかけないから、自分でしっかり生きていけるようになれよ」
子供の頃から耳にしていたその言葉通り
18で家を出てからはほぼ実家に帰ることなく、今があります。
「うちに金はないぞ」
合言葉のようなその言葉に、
親に頼るという概念はあまりなく、
欲しいものはバイトしたお金で自由に買い、
問題が起こればなんとか自分で解決する。
「しっかりしたお兄さんね」と周囲からよく言われていたこともあり、
そうすることに特に違和感もなく、
高校は公立以外選択肢はなく、
大学はそもそも1mmも考えたことはなく、
職人だった父の背中を見ていたこともあり、
美容師を選んだ記憶があります。
「もう一度はないかもね」
今年も母と電話で話しながら、
「家族に感謝して、職場の人に感謝して、たくさん話をしろ」
と言われました。
父が他界した時は間に合いませんでしたが、火葬場が混んでいたため、
妹の家で1晩父と同じ部屋で過ごさせてもらうことはできました。
思うことはいろいろありましたが、涙が出ない自分には気づいていました。
基本的に僕は冷たい人間なのだろうと思います。
周囲への頼り方は下手で、自分で解決するべきと考えます。
だからだとおもうのですが、、
周囲からの甘えられ方も多分よくわかっておらず、気づけていないかもしれません。
それで人を傷つけていることもあるかもしれません。
ぼんやりそんなことを思いながら、
最後に、「あと1回会えるかどうかだな」と母がつぶやいたので、
「そうかもね」と返しました。

頑張っています。僕なりに。
大丈夫です。